2021/10/18

男女差と自律性

「ジェンダーバイアス」、広義には「ステレオタイプ」は社会心理学では有名なモデルで、2015年頃これを自分の修士論文のテーマにしようかと考えていた。

名前・性別・婚姻ステイタス・母語などが採用・職責・キャリア形成にどう有利に/不利に影響するかというもの。やや黒いテーマの卒論を書いたところで誰が幸せになるのか悩んだ末、結局それをテーマにすることは見送り、それから5年ぐらいが経過した。そして政権交代に伴う新しい首相の選出で、このトピックをポジティブに考えられる機会が訪れた。

  

なぜフィンランド首相に若い女性が選ばれたのか?」
「同じ年代を生きているのに、なぜ日本社会とここまで違うのか?」 

 

これらは、男性中心で年長者ばかりの社会からみれば至極自然な疑問だと思う。その背景としては世界男女格差指数で毎回上位入りしていることや、議会の約半数が女性で構成されていることなどが挙げられ、その状況をふまえると特異な事ではないことがわかる。

フィンランドでは最多議席数を持つ第一党が政権を担当し、その党首が首相を務めることが通例となっている。その首相が辞任した場合には、伝統的にその党内で第二のポジションにある者が次期首相としてまず推薦される。第一党である社会民主党 chair personであった前首相 Antti Rinne が辞任した当時、Sanna Marin は first deputy chair だった。Sanna Marin と Antti Lindtman の決選投票は議会で行われた民主的なものであったし、女性首相も、30代の首相も初めてではない。「首相が選出されるプロセスは以前から決まっている基本的なルールに沿っていて納得いくし、何も不思議なことはない」と言うことをフィンランド人から聞いたことがある。

しかしなぜ女性が活躍できる土壌がそもそもあるのか、という点は散見的に語られており、まとまったものが見当たらないように思える。おそらく性差や若年層に関するこういう視点は、彼女たちを何か特別なものとして扱ってしまうことになる。


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「社会とはシステムである」

米国の社会学者パーソンズの社会システム論に沿ってフィンランド社会を観察すると、若者や女性が活躍する土壌ができた背景が理解しやすい。

この論によると、社会がみずからを存続・発展させていくために必要な事柄(例えば言語、家族、教育、文化、経済など)を「機能要件」と呼び、その事柄の配置状態を「構造」としている。

人体にたとえて言うと、脳、心臓、肺、胃、手、足など、それぞれは独立した機能と役割を担っているが、これらが相互依存することによって、ひとつの全体が成り立つことに似ている。

フィンランドの場合、言語・家族・文化・教育・政治・行政制度など、それぞれで今回の出来事にプラスに働くことがあるように見え、それらが社会を形作る元になっている可能性がある。それらを以下に掘り下げた。

 

言語

フィンランド語には英語で言うところの He(彼)と She(彼女)の男女区別がなく、どちらも Hän という人称代名詞で示される。これは1543年に発行されたアルファベットを学ぶ書籍にもう載っていたそうなので、相当前から根付いていたことになる。 Hän は王様、乞食、博士号を持つ人、幼児、など誰を指すこともでき、フィンランド語はこの点でゲルマン・ロマンス・スラブ語派と異なる

 

家族形態

近世のフィンランド農村地帯を研究する Beatrice Moring によると、東フィンランドのVirolahtiでは結婚相手は親ではなく本人たちが選んでいたとある。近隣のロシア領域のように、親と同居する大家族制が一見するとみられるものの、19世紀には焼畑農業が近代的な農業に置き換わり大規模な労働力の必要性が減少したため、共同家族世帯(血縁者などで構成された大家族)は核家族(夫婦のみ、または夫婦とその子供で構成された世帯)に置き換えられたとしている。

 Moring による別の論文によると、フィンランド南部の群島地帯では、地元を基盤にした家父長制の大家族が多数派だったが、18世紀初頭~19世紀後半を境に土地を持たない小作農の核家族ならびに独身者が多数派となり、社会階層構造が置き換えられたとしている。この時代には、女性が他地域の男性と結婚し移住することも増え、独身者は奉公に出ることで男女ともに共同家族世帯が多数派ではなくなったとある。

これらは、家父長制がもっていた伝統的規範や無制限な権力が一般的ではなくなったとも解釈できる。最小の社会単位である家族が、社会の支配構造にも影響を与えたのかもしれない。


社会階層

フィンランドの社会階層構造がフラットであること、および人々の自立性が高いことは昨今フィンランドに移住した外国人がたびたび言及している。

My career: From start to Finnish

"In general, working environment in the country is characterised by low hierarchy, high autonomy of employees, equality and co-operation."

What is Finnish work culture like? - Aalto university YouTube channel

"Here in Finland, the hierarchy is much flatter. So as a trainee when I started,  I felt that my opinion was valued and that I could voice my opinion, and I was encouraged to challenge the opinion of others, including people much higher in the hierarchy then myself."

社会階層が比較的フラットであろうカナダ人から見てもそのフラットさが目に留まるというのは、少し驚きだった。

 

政治

フィンランドでは1906年に男女同権選挙権が導入された。1913年にノルウェーで、続いて1915年にデンマーク、アイスランドとスウェーデンはそれぞれ1920年と1921年に同様のそれが導入となった。これに留まらずフィンランドでは1995年に選挙における男女同権を実現するために条項改正がなされ、男女ともに少なくと40%以上のメンバーを議会・地方行政などの意思決定機関に含めることが規定された。

フィンランドには選挙を支えるシステムのひとつに Zipper Method と呼ばれるものがあり、これは男女に等しい機会を与えることを目的としている。 この Zipper Method の特徴は、各選挙区・各政党の候補者リストを作成・公示する時にそのリスト上の候補者名が(あたかもファスナーで右と左の部品を合わせながら留め上げるように)男・女・男・女・男・女…という順序で並べ、特定の性別がリスト上位に固まらないよう、ならびにその後に行われる大選挙区で行われる選挙において特定の性別にとって不利にならないよう配慮がなされている。

 さらに筆頭の候補者が特定の性別に偏らないよう、ある選挙区内の第一政党が例えば男性であった場合、第二に支持率を得ている政党は筆頭者を女性とし、第三の政党では男性名を筆頭に掲示する、という徹底がなされている。

この仕組みを使って男女機会平等を図る場合、党内で一番支持率が高い候補者が必ずしも筆頭に来ないことになり、つまり必ずしも支持率を昇順に示したリストではなくなるという制度上の問題が発生する。しかし「支持率を厳密に順に示すこと」 よりも、男女の機会平等を実現されることに重点が置かれているため、この懸念は「わずかなロス」として認識されつつ現在も運用されている。

約100年を経てフィンランド議会における女性参画は飛躍的に前進した。1970年の議会で20%超だった女性議員は1983年に30%を超え、2007年には40%超となった。 

 

文化・教育

ここでの分類が難しいが、1918年に女性が中心となり自律的に発足した純軍事組織「ロッタ・スヴァルド」は文化というか、フィンランド人の精神に含める事ができるかもしれない。この組織は負傷兵の看護を行い、対空警戒に従事する女性は自己防衛のためにライフルが支給された女性部隊であったとある。1931年には8才~16歳の少女が対象の「ピックロッタ」という組織も発足し、愛国心教育が行われていたという。

(知らなかったのだが、フィンランド内戦を描いた映画「4月の涙」というものがあり、近いうちに一度見て見たいと思っている。この映画では主役級キャストが若い男女1名ずつとなっている。ここフィンランドで日本語字幕版がサクッと手に入る気がしないのですが。。)

フィンランド人の自律性については、ジャレド・ダイアモンドが第二次大戦中のフィンランド軍について記した書籍「Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis(邦題:危機と人類)」でも言及されている。

"(... ) the Finnish army, like the Israeli army today, was effective far out of proportion to its numbers, because of its informality that emphasized soldiers' taking initiative and making their own decisions rather than blindly obeying to orders."

”意訳:フィンランド陸軍は、現代のイスラエル陸軍と似てとても有能だった。体裁にこだわらず、上官の命令を盲従するのでもなく、ひとりひとりの兵士が現場の状況をもとに率先して自ら判断を下すことを重視していた。”

 


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男女の違いやそのステレオタイプに関することは、毎週のように、もしかしたら毎日ぐらいの頻度で垣間見ることができる。

うちの長女が乗っていた小さいピンクの自転車をお古でもらった息子(5才)は、練習の甲斐があって最近やっと補助なしで乗れるようになった。保育園が終わって帰宅すると、自転車に乗って保育園まで行こうと言う。保育園の園庭は平地で乗りやすいし、まだ帰ってない友達がいるから一緒に遊びたいんだろうな。

案の定、保育園には仲良しの女の子がいて、息子は自転車に乗れることを嬉しそうにアピールしていた。するとその女の子が話しかけてきて、

 

それ自分の自転車なの?

そう、もう乗れる!

ピンクなん?

うん、ちょっとね(笑)。

あはは

あははは

 

男の子らしいとか女の子らしいって感覚って、もう5才であるんや(笑)

この子たちのすばらしいところは、そういう性別の型という概念は持っているものの、ジェンダーバイアスに縛られて、気が引けて行動できなくなるということがあまりない ということ。それはたぶん大人たちが(親や保育園で働く大人たちが)できるだけニュートラルで居ようとしているからだろう。これは階層やパターンにあてはめることとは真逆のことだ。スカートが好きな3才児や、自分は男だと断言する5才の女子が娘の友達にいるが、それがからかいの対象になっている様子はなく、問題視するような大人も今のところ見ていない。

 

フィンランドで若者や女性が活躍する土壌ができた背景は、それらの人・文化をまるごと抱え込んで統制するのではなく、当事者として共に考えて行動してきたことが大きかったのではないかと思う。その過程で作られたシステムが、結果的に年齢や性別で縛られないものであり、女性の権利向上は要素のひとつにすぎないというところだろうか。